のんびりしてるのに、バタバタと時間が過ぎて、気がつけば6月に突入。
ニュージーランドは昨日から3連休。
クイーンズバースデーで明日もお休み。
でも飲食店は比較的ヒマなようで、今日はジャパレスで働いてる先輩スタッフ(日本人)たちとちょっと話をしていた。
そうして話をしていたら、ふと
「自分の物差しを自由に動かせる人ってあんまりいないな」
と思い始めた。
私は美味しいものが大好きで、街並みを眺めるのが大好きで、だからこそ、日本だけじゃなく色々な場所に行って、その地の空気と人と雰囲気を感じたいと思って日本を飛び出したのだけど、
そういう話をすると大抵
「ニュージーランドにいい景色はあっても、美味しいものってないでしょ」
と言われることが多い。
たしかに、日本には美味しいモノが沢山あるし、それこそフランスやイタリアに行ったら、美味しいモノしかないだろう。
でも、それは自分の物差しでしかない。
その地の人たちの物差しを持つことさえできれば、美味しいモノは、実は山のようにあるのだ。
私は、その地に根付いたモノや、その地の人が作るモノにこそ、その場所らしい美味しさが滲み出ると思っている。
だから、ニュージーランドにも美味しいものはたくさんあるし、どの国にも、その国らしい美味しさと風景が必ずあるのだ。
「美味しいものなんて、何もないでしょ」
「見るとこなんて、何もないでしょ」
というひと言で、新しい発見をするチャンスを逃すなんて、本当に勿体ない。
で、これは多分、食事だけじゃないのだ。
「あの人に、優れているものなんてないでしょ」
「あの人に、出来ることなんてないでしょ」
そうやって、大抵の人は自分の物差しだけで人を測ってしまう。
でもできることなら、向かい合った人の物差しにいつでも合わせられる方が何倍もハッピーではないだろうか?
それは決して、上から目線な訳ではなく、仕事ができない理由とか、家から出れない理由とか、そういった人それぞれの物差しや基準を否定してしまうよりも、その人の物差しってどんなのかな、と考えてみる方が、イライラしたり、蔑んだり、ズルしてるとか思ったりすることがなくなる。
自分が出来ないことが山ほどあるように、自分が出来たって相手が出来ないことは山ほどある。それは、些細なことでも同様だ。
手を使ってご飯を食べられる。
両眼で街の景色を眺められる。
毎日元気に電車に乗れる。
そんなこと?と思うことも、それはあくまで自分の物差しで見るから、そんなこと?と思うだけで、出来ない人にとったら、そんなこと?と言えるような気楽なことじゃない。
だから、私はいつでも物差しを動かせる人でいたいし、その自由な物差しを持って世界を歩き回りたい。
その方がきっと、自分の感覚が豊かになる気がするし、嬉しいと思えることが増えると思う。
人生、自分の物差し、ゆるゆるに動かしたもの勝ち。
ふと、そんなことを思った夜でした。
明日は、仕事も早く終わるので、モールにお買い物にいくぞー!
ささみ
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